「Ubuntu」(ウブントゥ)
南アフリカのズールー語で「思いやり」を意味する言葉が語源になっているそうです。
ひとりひとりの能力は違うから、単独でなくお互いに助け合うことによってこそ、自分の限界を超えてより良いものが出来るのだと言う概念です」(オードリー・タン)
建築 × 食品衛生
「Ubuntu」(ウブントゥ)
南アフリカのズールー語で「思いやり」を意味する言葉が語源になっているそうです。
ひとりひとりの能力は違うから、単独でなくお互いに助け合うことによってこそ、自分の限界を超えてより良いものが出来るのだと言う概念です」(オードリー・タン)
「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)
我が身を振り返れという意味です。脚下とは足元のことを、照顧とは照らし顧みる、つまり行いを反省して顧みることを意味しており、自分自身をしっかりと顧みなさいということをいっている言葉です。
履物をそろえることを奨励するための標語に使われることがありますが、履物の脱ぎ方にその人の精神状態が表れることから、脱いだ履物に心を留めて整える行為やそのものが、自分の心を見つめる修行につながっているという禅宗の教えです。
また履物をそろえる度に、足元をおろそかかにしてはいけないという自戒
学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。
「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。「阿世曲学あせいきょくがく」ともいう。
出典『史記しき』儒林伝じゅりんでん
「学(がく)を曲まげて、世に阿(おもねる)」と読み下す。
紀元前、中国前漢の武帝の時代から こういう輩はいたと言う事。現代では、いわゆる専門家に多すぎる。
ゲーテ 「処世のおきて」
気もちよい生活を作ろうと思ったら、
済んだことをくよくよせぬこと、
めったに腹を立てぬこと、
いつも現在を楽しむこと、
とりわけ、人を憎まぬこと、
未来を神にまかせること。
知性とは、
1、正しくものごとを理解する力があるか
2、社会の仕組みを見抜く力をもっているか
3、基本的な科学的知見をもっているか
この三方向から推し量ることが必要。
「食は 人の天なり」
高田郁の「花だより みをつくし料理帖 特別巻」にあった言葉。
『命を繋ぐ最も大切なもの、それが食なのだ。「美味しい」という味わいだけではない。心身を養い、健やかさを保ってこその食。食べるひとのことを思ってこその、食』
自由学園明日館・2018前期公開講座の受講者募集パンフに書かれていた言葉
「真理は汝らを自由にする」
国立国会図書館に書かれているこのギリシャ語の言葉は、聖書・ヨハネ伝の一節
大正10年、自由学園はこの言葉を礎に創立されました。
以来95年、依然として様々な束縛の中にある現代社会を解き放たなければなりません。
今こそ自由が、真理の探究が必要です。
blue ocean strategyとは、INSEAD(欧州経営大学院)教授のW・チャン・キム とレネ・モボルニュによる経営戦略論。
「競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説く。そのためには、自分の業界における一般的な機能のうち、何かを「減らす」「取り除く」、その上で特定の機能を「増やす」、あるいは新たに「付け加える」ことにより、それまでなかった企業と顧客の両方に対する価値を向上させる「バリューイノベーション」が必要だとしている。そのための具体的な分析ツールとして、「戦略キャンバス」などを提示している。
従来からよく知られているマイケル・ポーターの競争戦略が「事業が成功するためには低価格戦略か差別化(高付加価値)戦略のいずれかを選択する必要がある」としている一方、ブルー・オーシャン戦略では「「減らす」「取り除く」ことによる低コスト化と「増やす」「付け加える」ことによる顧客にとっての高付加価値は両立し得る」と主張している。」(ウィキペディア)
ブルー・オーシャンは、未開拓の市場を単に発見するだけではなく、戦略を練って自ら創り上げるもの。
ブルー・オーシャンは、あくまで競争相手がいない、または少ない市場であって、楽をして簡単に儲かる市場ではありません。しっかりとした戦略と参入後の遂行力が必要。
吉田松陰は文政13年8月4日(1830年9月20日)生まれ。
嘉永6年(1853年)ペリーが浦賀に初来航。翌年にはペリーが日米和親条約締結の為に再航しており安政5年(1858年)幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って松陰は激怒したと言われている。
翌年の1859年10月27日に満29歳で斬首刑に処されたが、この文言はその1859年頃のものと言われているようだ。
この吉田松陰の文言における「外」は米国であり、「内」は日本国内であり、「天下の賊」は幕府=当時の政府である。
今も昔も同じ状況と言えるのではないだろう。
草莽の民よ 怒れ
「ランダムさのないところに新たなものは生じない」(Without the random, there can be no new thing)。
これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。
すべてが規格化され、単一の「ものさし」で比較考量され、格付けされるところからは、いかなる新しいものも生まれません。